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第2回 信玄史跡めぐりツアー 2008/1/5
日時 2008/1/5(土)
参加者  横山、堀内、内池、齋藤、齋藤娘、金丸、三枝、
      一瀬、一瀬妻、白倉OB(1期)、柴田
行き先  10時30分 山梨クラリオン
      13時00分 甲斐善光寺
      15時00分 東光寺
      16時15分 解散

・山梨クラリオン内会議室にて本日の予習
信玄の歴史を振り返りながら、本日の甲斐善光寺と東光寺が歴史の中でどのような舞台になったのか学んだ。


・甲斐善光寺


善光寺本堂


本日のガイドさん、大西先生と夢甲斐塾生
大西先生は女性でありながら歴史に詳しく、長らくボランティアガイドをしていらっしゃるご様子でした。
「先生!」と言うと、「先生ではなく、大西でいいですから〜」と素晴らしく謙虚でお元気な方です。

甲斐善光寺は、開基(スポンサーのこと)武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を甲斐の地に移すために建立されました。
信濃より大本願上人以下、お坊さま、門前町全て移転しお迎えいたしました。
その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、慶長三年(1598)信濃に帰座なさいました。
甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め現在に到っています。

大西先生のお話によると、善光寺は東日本では最大の木造建築であり、阿弥陀如来像だけではなく門前町ごと移転したため、その当時はすごい賑わいだったそうです。
しかし、悲しいことに、武田氏滅亡の折信玄の息子勝頼、その嫡男信勝の首実検(討ち取った首の検分)を織田信長が行ったのもこの善光寺だったのです。


庭にある池には大きな鯉が泳いでいました。
この中に人面魚がいるそうです。一番大きな鯉ですが分かりますか?


山梨県で最大の大仏様です。


この鐘も信濃善光寺から移転した物です。
円で囲った部分がかけているのが分かりますか?
昔のことですので引きずった後があるのです。

本堂下には、「心」の字をかたどる、「お戒壇廻り」といって真っ暗な部屋の中の鍵を触れることによって、御本尊様と御縁を結ぶことが出来るとのこと。
全員で挑戦しましたが、大西先生の先導の下無事みんなが鍵に触れることが出来ました。

その他にも、様々な見所を親切丁寧に説明して頂き、
身近な甲斐善光寺が、全国に誇れる素晴らしいお寺だと再認識いたしました。

・東光寺


東光寺は、武田の時代に信玄の義弟諏訪頼重、信玄の実の息子義信が幽閉後自害したお寺です。
大西先生に、何故東光寺は色々な人が自害させられているのですか?と言う質問をしたところ
躑躅ヶ崎からのアクセスのよさもあるけど、高貴な方をお迎えし最後を迎えさせてあげるだけの格式のあるお寺だということと教えて頂きました。


信玄の息子、義信のお墓です。
信玄に対してクーデターを計り、幽閉され自害したと伝えられています。


信玄の義弟、諏訪頼重のお墓です。
諏訪侵攻の折、謀略によって東光寺に幽閉後自害いたしました。
左にある墓標は妻ねね(信玄の妹)です。
頼重の後を追うように亡くなったそうです。


大西先生、分かりやすく元気なガイドを有り難うございました。
執筆者:smileauto, 分類:武田信玄と二十四将, 20:50
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