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第3回 信玄史跡めぐりツアー
日時 2008/1/26(土)
参加者  一瀬、柴田、河西、志村、前田
行き先  10時30分 山梨クラリオン
      13時00分 景徳院
      15時40分 解散

・山梨クラリオン内会議室にて本日の予習
勝頼の時代が始まってから、数々の苦難と失望を重ねながらも、ついには力尽き武田氏滅亡に至るまでの経緯を、今回向かう景徳院および大善寺とのつながりを交えて学びました。

・景徳院

景徳院本堂

天正3年5月21日(1575年6月29日)、織田・徳川連合軍との長篠の戦い以降、武田氏は急速に勢力が衰えます。そして天正10年(1582)3月11日、戦国時代最強と謳われた武田氏は、ついに天目山にて滅亡します。
同年7月、徳川家康は勝頼の死をとむらうため菩提寺として、景徳院を建立しました。ここには武田勝頼、北条夫人、勝頼の嫡男である信勝、そして最後まで主とともに戦った家来たちの位牌が安置されています。

この地で私たちは勝頼、北条夫人、信勝の辞世の句を拝見することができました。
「あたに見よ たれも嵐のさくら花 咲き散るほとは 春の世の夢」(勝頼)
「黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒」(北条夫人)
「あたに見よ たれも嵐のさくら花 咲き散るほとは 春の世の夢」(信勝)


勝頼・北条夫人・信勝の辞世の句

武田氏滅亡の時、季節はいよいよ春の彩りが増す頃。私たちは雪の残る1月にここを訪れましたが、家臣や家来に裏切られながらの旅路を思うと、なんとも寂しく切ない気持ちがこみ上げてきました。その寂しさの中に、私たち一行は彼らの家族愛の絆の強さに心がひかれました。北条夫人は当時20歳。北条氏の所へ戻ることは十分可能だったはずなのに、彼女は夫・息子と最期を共にすることを選びました。この年齢でそれほどの覚悟を決め、最期まで貫いた北条夫人の人柄に、私たちは想いを馳せました。

この日、住職さんが寒いところ私たちの案内をしてくださいました。冷え切った境内の中、武田氏滅亡のいきさつを丁寧に教えてくださり、間近で位牌を見学させてくださりました。「また暖かい時にゆっくり話をしましょう」と、終始あたたかい笑顔で話してくださいました。ありがとうございます。

ここ景徳院では、2006年の修復工事中に、大量の経石が発掘されたことで話題になりました。文化的価値が高いということで発掘作業が進められており、同時に「訪れた方に写経をしてもらい、埋めなおそう」という運動も進められています。ここを訪れた時に、住職さんに一言お願いすれば誰でも参加できます。


発掘作業に関する膨大な資料を拝見させていただきました。


ここで写経することができます。









執筆者:前田友和, 分類:武田信玄と二十四将, 20:12
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